駅で走っているそこのあなた。危ないうえに、見苦しいわ。
駅で走る人がいる。
私は通勤で井の頭線と東横線を利用しており、渋谷駅で乗り換えている。
東横線に乗り換えるときに、地下へもぐっていくのだが、その階段を降りていると、たま走っている人に追い越される。
たまに、ぶつかっていく人もいる。謝罪の一言もなくだ。
ひどい人になると、「何ちなんたら歩いてんだ?」とでもいいたげに、にらんでいったいりする。マナーのかけらもない。どういう思考回路してるんだろ?
そういう輩には、「そもそも、駅の階段を走る状況になっている自分を反省したら」と心の中で言うことにしている。
どう考えても、いい大人が血相変えて駅の階段を走っている姿って、この上なく見苦しく痛い。人の目を気にする東京人として、どうなのよ。そんなに急ぐくらいなら、余裕を持って行動したらいいだけやん。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?」という言葉を知らんのかい(笑)。
いい大人でも、待ち合わせに遅刻する人っているけど、それも、信じられない。道が混んでて、とか、電車が遅れてとか言ってるけど、そんなの子供にしか通用しない理由よ。
そういう展開になることも織り込んで行動するのが大人や。20代ならともかく、30代でそれだとキツい。「こいつの信頼度マイナス2ポイント」って感じかな。
私は人と待ち合わせをするときは、30分前には現地につくように行動する。そして、現地で時間をつぶす。思い出してみると、学生の頃からそうだったなぁ。
相手によっては、先について待っていることで心理面で上に立てる効果もあるんだけどね。
ともかく。
どんな状況になっても、自分のペースを乱されることなく、泰然としている。
そんな人でありたい。
算数でコミュニケーション?
先日、ライフネット生命・出口社長の講演を聴く機会に恵まれた。
講演の中で印象に残っているのが、「コミュニケーションミスをしないようにするには、国語ではなく算数で話をするのが良い」ということ。これは、仕事に非常に重要。仕事の効率化に課題を感じる人であれば、ほんの少し、口のきき方を変えるだけで、劇的に生産性があがるだろう。
この仕事は“あと少しで”終わる。
“しばらくしたら”休憩しよう。
日頃、何気なく口にする表現だけど、「あと少し」、「しばらくしたら」というフレーズに持つイメージは、人それぞれ。そこに、認識のギャップが生じる要因がある。当然ギャップがあれば、アウトップットの出来栄えも、またの評価も異なる。そのギャップを埋めるための「余計な」コミュニケーションも必要になることもある。
「これで理解できないのってアホちゃうの?」
「こんな内容で何を理解しろいうの?で、どうしてほしいの?」
口には出さないものの、相手の表情にこうした言葉がありありと浮かんでいる・・。
ストレスがたまるよね、お互いに。これを繰り返すと、人間関係にも影響するよね。
けどね、こういうことで無駄な時間を使っているのって、意外と多いのではではないだろうか?
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今までは、精神的にも、物理的にも余裕があったので、「まあ、ええか」と済ますことができていた。20年前であれば、“あと少し”って10分ですか?、それとも30分ですか?と、聞き返さなくても最終的な成果には大した影響がなかった。むしろ、そんなことを質問されると、露骨に嫌な顔をされることもあった。そもそも、そんな質問をする奴さえいなかった。
とりあえず作業を進めてみて、ポイントごとに出来上がりを見たうえでギャップを明らかにして、落としどころを探して摺合せを行い、次のフェーズに進んでいく。
そんなやり方でも通用していたのは今のようなグローバリゼーションの波があったわけでもなく、ITの性能も高くはなかったからだ。
しかし、今は違う、ほとんどの仕事は今後、機械に置き換えられる。また、我々自身も世界中の人材との熾烈な競争が待っている。
仕事では、プレゼンやメールでコミュニケーションをとることが多いが、自分が考えていることを正確に相手に理解してもらうことが、如何に難しいかを日々痛感している。そんなときに、冒頭の言葉を聞いた。
「コミュニケーションミスをしないようにするには、国語ではなく算数で話をするのが良い」
日頃、モヤモヤしていたものがスッキリした気がするので、ぜひ、取り入れていきたい。
ただし、あくまで仕事のシーンだけに留めておくことにしよう。嫁との会話をこの調子でやっていたら、きっと彼女の機嫌を損ねることになるだろうからwww
(女性との会話にはまた違ったコツがあるはず)
ではでは。
娘が京都に行きました。
娘が京都と奈良に行きました。通っている中学の修学旅行で。
私は関西育ちですから、修学旅行で行く感覚がいまいち良くわからない。
(小学校では伊勢神宮に、中学校では九州に、高校は信州に行きました)
この中学では、生徒を5~6人の班に分けて、生徒自身でコースを決めさせたらしい。で、聞いたのが清水寺と金閣寺がコースに入っていると。
何度か彼女を京都と奈良に連れて行っているので、清水寺や金閣寺にまた行くのか、とも思ったのたが、クラスでは京都初体験のメンバーもそれなりにいた、ということで「今さら」のコースになったということのようだ。こういう点は、東京人といっても、田舎者に思えておかしいww。
感想を本人に聞いたところ、「京都や奈良って原宿とは違った良さがあるよね」と言っておりました。ほう、中学生なのに、そこに気づくとはやるね。下手すると、大人でもわからない人いるからね。というのが、親父の感想。
そうなのよ。
東京は新しいものを出し続けないと、魅力はどんどん落ちていく街。流行の最先端を走り続けることを宿命づけられている街。それができなくなったら、何の魅力もないよね。
逆に関西は、如何に古いものを残していくかが、その存在価値。それがあってこそ、関西。
東京=ビジネスの街、関西=歴史、伝統、文化の街
というダブルスタンダードが日本にある。そのどちらかが欠けても、世界における日本のプレゼンスはない。ということに気づくことが、この修学旅行の意味なんだ。と親父は思うよ。
日本人なんだから、京都や奈良という日本が誇るべき伝統文化を理解して、後世に伝えていってほしい。世界にPRしてほしい。また、そういう意味で、京都や奈良は我々日本人の心の故郷として、祖先から受け継いできたものをいつまでも絶やさずに保全していってほしい。と、改めて思ったのでありました。
ではでは。
子供の頃にワクワクしたこと
子供の頃のワタシについて書く。小学生の頃について。
その頃のワタシはどこにでもいる小僧の1人だった。
勉強が嫌いで、喧嘩と野球ばかりしていて。
そして、知らないところへ出かけることが、何より大好きだった。
小学生の行動半径なんて、今も昔もそうは変わらない。
せいぜい、学校と自宅、近所の公園、野球のグラウンド、親に連れられていく商店街、といったところだ。
普段の生活ではあまりないが、ふとしたときに、日常の行動半径の外に出ると何があるんだろうと、考えたりすることが好きだった。実際に考えだすと、ワクワクした。
実際にやったこととして。
大阪は堺市の南の端にある自宅から、河内長野市の関西サイクルスポーツセンター、岸和田の親戚の家、住吉大社近くの担任の先生の自宅まで自転車で行った。中学の時は、岡山県倉敷市の自宅から広島県福山市までを往復した。どの場所ににしても、自宅からだとクルマで走っても、それなりに時間のかかるところだ。
もちろん自転車なので、思うように距離を稼ぐことができない。体力的にもきつかった。それでも、ぜんぜん構わなかった。その瞬間は、目的地に向かって走っている充実感が疲れを感じさせなかった。
日常と違った光景を目の当たりにして感じる新鮮な驚き、「自分の足でここまで来れた」という実感、達成感は何者にも代えがたかった。
今でも、そういう感覚は残っていて、天気の良い日は、たまに、自転車で遠出をしたりする。
2年前には娘と吉祥寺の自宅から、靖国神社、東京タワーと自転車で周ってきた。
ふだんはクルマや電車で出かける都心を、自転車で走り抜けることに新鮮さを感じた。
来年の春には、しまなみ海道のサイクリングロードを家族で走りたいと思う。
日本一のサイクリングロードを。
iPhone 5にするか・・・
スマホを買い替えようかと思っている。
2年前にスマホデビュー。買った機種は、SHARPのIS05という機種。
理由は、キャリアがauなので、Androidしか選択肢がなかった。その中で、一番コンパクトサイズのものがIS05だった、というのが決め手。
使い方は、ジョギングのデータ採取(Runkeerper)、英語の練習(TOEIC English Upgrader、TOEICカレンダー)、ネットやSNS(LINE、FB、Twitter)の閲覧がメイン。
そのほかには、Razikoというアプリでナイターを聴くことかなぁ。今の時期では、これかなり重要。何せ、大阪の局が聴けるのでタイガースの試合をチェックできるんだよね。すばらしい!ただし、RazikoはAndroidしか対応していない・・・(泣)。
*Radikoでは、住んでる地域の放送局しか聴けないが、Razikoでは全国の放送局が聴けます!JBすればiPhoneでも対応方法あるようだが、さすがにその度胸はない。
きっと何か妙案はあると思うので、情報収集は継続しようかと思ってる。
進展があったら報告しますね。
ではでは。
英語のこと 2
一昨日につづいて、英語のことについて書く。
前にも言ったが英語の練習を始めたのは、仕事で必要としているからだ。
だから、ビジネスで通用する英語を身に着けられればいいや、と思っていた。
それが、最近は少し変わってきている。詳しくは、後段で。
英語については、リーディングとヒアリングをメインに練習を重ねてきた。
ある程度のレベルまでいけたので、
次はということでスピーキングに取り組むことにした。
どんな、方法があるかいろいろ調べてみた。
妥当な線では、英会話教室に通うことだろう。
予想していたことだが、どこもかしこも
ローンを抱えるサラリーマンが通えるレベルの月謝ではない。
それでも、諦めることなく、探してみると、
「英会話クラブ」というものが検索サイトでヒットした。
どうやら、首都圏のさまざまな場所で、開催されているようだ。
1回2時間で500円。リーズナブルだ。以来、週一のペースで通っている。
そこでは、4~5人が1グループとなり自己紹介を中心に、
英会話を楽しむというスタイルである。まあ、悪くない。
必ず話題になるトピックが、「なぜ英語を勉強するのか」というもの。
参加者の答えは、ほぼ共通している。
「外国が好きだから」「海外旅行をもっと楽しみたいから」
これらは、まあいい。かわいいもんだ。
しかし、こういう回答には違和感を感じる。
「グローバルな時代についてたくためにも海外のことをもっと
知らなければならい。だから英語を勉強している」
確かにグローバルな時代にコミュニケーションをするには、
英語は必要なツールである。これには、異論はない。
だが、海外のことをもっと知るために英語が必要だ、とだけしか
思いつかないのであれば、それは片手落ちである。
なぜか。
グローバル時代に外国と渡り合うには、相手のことを知るだけではなく
我々のことを知ってもらい、認めてもらうことが必要だ。
日本はどんな国で、どのような歴史と風土があり、
どんな価値観を持ちっているのかを。
そのために、英語の会話のスキルを身に着けるのだ。
相手の主張だけを受け入れ、こちらは一切主張しないというのは
交渉はおろかコミュニケーションにすら、ならない。
それなら、わざわざ自分で英語を身に着けなくとも、通訳を雇えば
良いだけのこと。
ハリウッド映画で見る日本人のことは、今さら出すまでもないが、
アメリカ人が認識している日本人像は、正直、噴飯ものである。
逆に言えばその程度の認知力しかない彼らを、必要以上にリスペクト
する必要などない。日本のことを分からせる、くらいのスタンスで
接するのがちょうど良い。まあ、これはビジネスでも同じだが。
だから、日本を理解してもらうために英語を練習しているのだ、
と答えることにしている。
もちろん、英語はあくまでツールだからコンテンツを仕入れなければ
ならない。そこで、今が旬の新島八重さんや会津ことを勉強しようと思う。
(薩摩や長州のことはある程度、知られているからね。)
ではでは。
英語のこと
「英語を使えるようになりましょう」
楽天やユニクロが社内公用語を英語にしたことをはじめ、巷間かびすましい状況になっている。かくいう自分自身も、仕事では英語の使用が必要とされる場面がたびたびある。
現在の部署への移動を契機に、英語をブラッシュアップしなおしてきた。どこから手を付けるべきか、最初にいろいろ考えた。結論として、まずは、ヒアリングとリーディングに主眼を置いて、練習することにした。
思うに、英語に限らず言語を使うスキルは4つに分けることができる。
「聞く」、「話す」、「読む」、「書く」の4つである。
私はこのうち、「聞く」と「読む」にフォーカスしたわけだ。
その理由は、まずは、「何について書いてあるのか」、「何について話しているのか」を理解することができないと、自分の考えがまとまらないと思ったからだ。
毎日、10分でもいいから英語に触れることをノルマにした。通勤電車の中でできるように。1年も続けると、TOEICの点数も150点(それだけかい!)はアップした。
会議での英語での会話や英文の資料にも、少しづつではあるが、ついていけるようになった。海外支社との電話でも自然に会話ができるようになった。しんどく思うことが減ってきた。最近では、CNNも字幕なしで大意がわかるようになってきた。面白い。
●
「英語を使えるようになりましょう」
使えるようになるって、どういこと?
自分の考えを正確に相手に理解してもらう。あるいは、その逆。それを英語でできるようになるということである。と理解している。
すなわち、コミュニケーションができるようになる、ということだ。当たり前すぎる話だが。
コミュニケーションは、相手が何をしたいか、どうしてほしいか、を理解するところから始まる。ビジネスでも同じことだ。相手のニーズがわかれば、あとは、それにどう対応するかを考えて、口に出したり、文章にしてやればよい。商談でなら、プレゼンするだけのことだ。日本語でやっていることとなんら変わらない。単純な話じゃないか。
それができれば、次に求められるのは話の中身。論理の飛躍や矛盾がないか。起承転結があるか、「なるほど」となるオチがあるか。。。世にいう「おもしろい人」「頭の良い人」というところになる。ここまでくれば、外人とであってもビジネスでの関係を越えた付き合いができるようになると思う。
海外赴任の経験のある同僚に言わせると、仕事でローカルスタッフや顧客とコミュニケーションができるようには、誰でもなれる。たとえ、英語のスキルがゼロでもだ。なぜなら、ビジネスでは誰もが儲けたいと思っている。だから、自分にメリットがありそうだと思ってもらえれば、つたない英語でも、「相手が理解してくれようとする」からだと。
「英語で話すことはできるが、<話>のできない日本人は大勢いる」
(日本語で話すことはできるが、<話>のできない日本人も大勢る)
笑うに笑えないジョークだ。
しかし、アフターファイブではそうはいかない。話(人間として)がつまらないと、誰も寄ってこない。なんだ、日本と同じじゃないか。
英語を勉強する前に、飲み会での話のネタを集めてストーリーを作ることから、始めることが必要なんだね。
【マイ コミュニケーション力 ランク】
最強:爆笑してもらえる話ができる。感動してもらえる話ができる。
ベター:聴いていて面白い話ができる。なるほど、と言ってもらえる話ができる。
ふつう:筋道だった話ができる。正確な話ができる。誰もが知っている話ができる。
ノットバッド:人の話を聞くことができる。
最悪:人の話をさえぎる。人の話を聞かない。話が支離滅裂、論理が破たん。
日本語+英語できれば怖いものなし!?
ではでは。