英語のこと 2
一昨日につづいて、英語のことについて書く。
前にも言ったが英語の練習を始めたのは、仕事で必要としているからだ。
だから、ビジネスで通用する英語を身に着けられればいいや、と思っていた。
それが、最近は少し変わってきている。詳しくは、後段で。
英語については、リーディングとヒアリングをメインに練習を重ねてきた。
ある程度のレベルまでいけたので、
次はということでスピーキングに取り組むことにした。
どんな、方法があるかいろいろ調べてみた。
妥当な線では、英会話教室に通うことだろう。
予想していたことだが、どこもかしこも
ローンを抱えるサラリーマンが通えるレベルの月謝ではない。
それでも、諦めることなく、探してみると、
「英会話クラブ」というものが検索サイトでヒットした。
どうやら、首都圏のさまざまな場所で、開催されているようだ。
1回2時間で500円。リーズナブルだ。以来、週一のペースで通っている。
そこでは、4~5人が1グループとなり自己紹介を中心に、
英会話を楽しむというスタイルである。まあ、悪くない。
必ず話題になるトピックが、「なぜ英語を勉強するのか」というもの。
参加者の答えは、ほぼ共通している。
「外国が好きだから」「海外旅行をもっと楽しみたいから」
これらは、まあいい。かわいいもんだ。
しかし、こういう回答には違和感を感じる。
「グローバルな時代についてたくためにも海外のことをもっと
知らなければならい。だから英語を勉強している」
確かにグローバルな時代にコミュニケーションをするには、
英語は必要なツールである。これには、異論はない。
だが、海外のことをもっと知るために英語が必要だ、とだけしか
思いつかないのであれば、それは片手落ちである。
なぜか。
グローバル時代に外国と渡り合うには、相手のことを知るだけではなく
我々のことを知ってもらい、認めてもらうことが必要だ。
日本はどんな国で、どのような歴史と風土があり、
どんな価値観を持ちっているのかを。
そのために、英語の会話のスキルを身に着けるのだ。
相手の主張だけを受け入れ、こちらは一切主張しないというのは
交渉はおろかコミュニケーションにすら、ならない。
それなら、わざわざ自分で英語を身に着けなくとも、通訳を雇えば
良いだけのこと。
ハリウッド映画で見る日本人のことは、今さら出すまでもないが、
アメリカ人が認識している日本人像は、正直、噴飯ものである。
逆に言えばその程度の認知力しかない彼らを、必要以上にリスペクト
する必要などない。日本のことを分からせる、くらいのスタンスで
接するのがちょうど良い。まあ、これはビジネスでも同じだが。
だから、日本を理解してもらうために英語を練習しているのだ、
と答えることにしている。
もちろん、英語はあくまでツールだからコンテンツを仕入れなければ
ならない。そこで、今が旬の新島八重さんや会津ことを勉強しようと思う。
(薩摩や長州のことはある程度、知られているからね。)
ではでは。