読書感想 四季・波留子
内容(「BOOK」データベースより)
読書感想 自転車は街を救う―久留米市学生ボランティアによる共有自転車の試み
内容(「BOOK」データベースより)
自動車に重点をおいた都市交通対策を改め、都心を魅力ある空間にして活力を取り戻すには、人間の力で動く合理的な乗り物、「自転車」を利用しない手はない。オランダやデンマークでは、誰でも自由に利用できる共有の自転車を、バスや市電と同等な公共交通手段として位置づけている。日本でも、いくつかの地域でこうした試みが始まっている。本書は、福岡県久留米市で始まった学生ボランティアによる取り組みの記録である。
ここのところ、あるボランティア活動に参加している。このようなタイトルの本を手に取ったのは、そうしたこともあったのだろう。
この活動を始めたのはある大学生たち。学生であってもここまでのことができる。ということは、読んでいて大いに勇気づけられる。自分のやっていることが、誰かの役に立っているというのは、人としての大きな喜びになるからね。
自転車は街を救う―久留米市学生ボランティアによる共有自転車の試み
- 作者: 水色の自転車の会
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
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読書感想 「四季・奈津子」
内容(「BOOK」データベースより)
これだけ極端な生き方をすることには、当然、賛否両論あるだろう。しかし、一度しかない人生、自分の生き方を貫き通す奈津子には、一種の潔さを感じてしまった。
このあと残り3人についての物語についても、読み進めたいと思う。
読書感想 「濃姫春秋(下)」
久々のブログ更新です。
今までは別のところでやっていた読書感想をこちらでやっていきます。
(Amazon紹介文)
天下統一も半ばにさしかかったころ、濃姫の母方の従兄だった明智光秀の謀反による
「本能寺の変」で襲われた信長は、濃姫に最後まで生き抜くことを諭して自害し果てる。
愛する人を次々と失い、最愛の夫である信長と天下布武という目的をも失った濃姫だが、信長の死後30年間を“帰蝶"として、戦乱の世を生き抜いた。
蝶のように自由に華麗に生き抜いた濃姫の一生を描く渾身の戦国絵巻。
(感想)
東京オリンピックの開会式では日本を知ってら貰う数々の趣向をこらした出し物があると思うけど、例えば人物であれば日本を象徴するのは誰だろう?
歴史上の人物からであれば、織田信長を選びたい。彼について知れば知るほど、スケールの大きさを実感する。
そんな信長という稀有な男の正室として愛し、競い、時には反発した女性の壮絶にして波乱の一生を描いた作品。
史実に忠実でありながらも、大胆な解釈による着色をどれだけ加えられるかが歴史小説の魅力。その意味おいて、本能寺の変後にも濃姫が生きているという設定は正直驚きを感じたが、彼女の目を通してその後の出来事を追いかけていくというのも面白い趣向であった。
表現方法として、
情景の説明は少なく、心情を話しに言葉よる記述で表現しているところに、この作品の特長がある。
ただし、この手法は話の流れを切らせないように展開させるには、相当の技術を必要とするだろう。
「濃姫春秋」、上下巻でおよそ、1000ページ。読み応えありました。
男・40代 Myべからず集
大した理由はないが、思うところがあるので書いておく。
少し酔ってるので、訳わからない部分があるかもね。
・40代の男として、一人称で「ボク」は使わない。仕事では「私」、プライベートでは「オレ」。
⇒30代以上で「ボク」なんて使っている男は、男として終わっている。少女漫画か?
・男ばかり3人以上で行動する場合、横に並んで歩かない。
⇒女子高生じゃあるまいし。自転車でもやってる人いるけど、恥ずかしいうえに、邪魔やで。
・女子供相手に本気で喧嘩しない。
⇒争う対象ではなく、保護する対象。
・後出しじゃんけんのようなことをしない。
⇒たとえば、今回のW杯 日本代表に対して、予選敗退が決まってから、あーだこーだ言うこと。恥ずかしくないのかね。
・家族の前では愚痴をこぼさない。
⇒腐っても一家の大黒柱たるもの、いつも泰然としていたい。
・職場では走らない。
⇒余裕を持ったビジネスパーソンでありたい。
・人の話の腰を折らない。
⇒これやってる人、よく見かける。いつか、シバかれるよ。
・必要以上に東京弁を使わない。
⇒気障な奴にはなりたくない。
まだまだあるような気がするが、今日はこの辺にしとく。
大事なのは、「誰が言ったか」でも、「何を言ったか」でもない。
最近、ネット上で良く見かける、この手の議論。
ネットでは、「何を言ったのか」が「誰が言ったのか」より重要、
という話を見かける。本当にそうなのか?
実際の社会では、会社などでは、一介の平社員よりも重役の話の方が
影響力が大きい。
また、周囲からの信頼が高い人(A)と、低い人(B)では、
Aの意見を周囲は尊重することを、見聞きすることが多いだろう。
たとえ、同じことを言っていたとしても、Aの方が周囲を説得し、
動かすことができる。
例え言ってることが立派でも、Bが言ってる場合は
「何を偉そうに」ということになるだろう。
すなわち、リアルの世の中では、
「誰が言ったのか」の方が、「何言ったのか」よりも影響力が大きい、
ということになる。
だが、私の言いたいのはこれではない。
同じ人が同じことを言った時にも、言い方によって受け手の反応が
変わるという話を聞くこともある。
「北風と太陽」の話はあまりにも有名だが、言わんとしていることは両方とも同じである。「コートを脱いでください」だ。
北風=なんでもいいからとにかくコートを脱がんかい!吹き飛ばすぞ!
太陽=ワタシからは暑さがどんどん出ているので、脱いだ方があたも快適ですよ。
旅人は、北風に対しては頑なにコートの裾を閉じ、太陽に対しては
素直にコートを脱いだ。
もう、おわかりであろう。
同じことを言うのにも、言い方を変えるだけで、受け手の反応が変わることを。
つまり、最も大事なのは、「どう言ったか」なのである。
「言う人」、「言う内容」、「言い方」、この3つが揃ってこそ、人を動かすことができるのである。それも、嫌々ではなく、前向きに。
人格をもっと磨いていかないといかんね。
ではでは。